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M資金

 第二次大戦中に隠匿された大量の金塊を欧米諸国は Biack Gold (ブラックゴールド)と呼んでいます。つまり、そのような金塊があることを認めていることになります。戦後直ぐに金の取引の形が変わりました。1945年に制定され、1949年居施行されました。どのように変わったかというと、
1 ロンドンマーケットに登録され、ブリオンバンクに入れられたものを《金》として取引される。(ブリオンバンクの金庫の外の金は《金》とは違う物)
2 ブリオンバンクに入ったものは二度と外に出ることはない。
3 《金》の取引は名義の変更だけとなった。
4 GBC(ゴールドブリオンサティフィケート)は《金》と一緒に金庫の中にある。(《金》のオーナーが持てるのはGBCのコピーだけ。
5 戦前出来た、GBCの売買は出来なくなった。

 以上のようなシステムはヨーロッパそれぞれの国の金庫には金が殆ど無いとの前提にたったシステムです。《金》の価値は宝石等消耗してしまう金とは違います。金は金としての市場価値しか有りません。しかし、ブリオンバンクの中の《金》は世界の政府とブリオンバンクに運用されるとその価値が20倍〜30倍になります。

 戦後に大量の金がアジアから出ると38カ国の国により厳重に管理されこの組織により決められた方法で処理されます。この38カ国の代表の国は米国、英国、フランス、日本、独国です。戦勝国と敗戦国です。実際に動いてるのは米国のCIAです。
 第二次大戦中に略奪された金塊は保有国に戻すという原則があるのです。そこで、CIAに注目しなくてはなりません。ブラックゴールドを処理できるのはCIAだけです。スイスにあるUBS(ユニオンバンクオブスイス)CITIバンクはCIAが作り、CIAの銀行と言われています。
 戦後、江戸川河口で引き上げられた金塊は何処に行ったのでしょう。戦後初にフィリピンでサンタロマナによって掘り出された金塊は何処に行ったのでしょう。日本の機関によって戦後回収された大量の金塊はどうなったのでしょう。
 
 答えはUBS CITIバンクの金庫の中にあります。マルコスゴールドもその一部です。

 戦後直ぐに、サンタロマナの口座がCIA長官の名義に変わったのは公になっています。

 大量の金塊を国際標準(12.5キログラム)に鋳直しロンドンマーケットに登録し、ブリオンバンクに入れ、それを運用して20倍以上の価値を引き出す事は秘密裏にできません。大量に鋳直すことが出来る精錬所はニュージャージーにしか有りません。日本の機関が回収したのも、マルコスゴールドもニュージャージーに送られています。

 CIAが友好的に回収作業に関われば回収した母体は100%の金額を手にすることが出来ます。CIAはそれ以上の利益を受けます。

 CIAは大量の金塊の回収で得た利益を何に使ったか・・・・・・・・・・戦後の冷戦時に対共産主義に対する行動に当てられました。日本の機関の協力はこのCIAの目的を後押ししました。日本では基幹産業に投入されました。これがM資金です。元、CIAが書いた本「Gold Warror」には日本でこのM資金に関係した人物の実名が記されています。

 結局CIAはソ連邦を解体しました。共産主義国は世界で僅かとなりました。ブラックゴールドがその効果を充分に発揮した結果です。

 M資金に付いては本が1冊書けてしまいます。ここではここまでにしておきます。