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財宝回収計画の提案
 

財宝回収計画・最終章

 財宝回収計画を提案します。興味のある方はお問い合わせフォームでお申し出ください。詳細は直接お会いしてでなくてはお話できません。共同作業の同意が出来た時点で根拠を示す証拠の品、情報源の本名等をお教えします。

 これほどの具体的な情報は私以外誰も持っていないと思います。

この提案の趣旨は一攫千金の夢を具現化することです

 過去、日本でも徳川埋蔵金等、財宝探しの夢が語られ、様々な方によってその存在が信じられて来ました。そして探索が行われ財宝の存在は夢と散りました。一方、メルフィシャー(カリブ海でスペイン船を引き上げた。)の様に夢を実現し、財宝を手にした人も居ます。
 
 私達が目的とする財宝は第二次大戦中に日本軍がフィリピンに埋蔵されたと俗に言われる“山下財宝”です。山下将軍当人が実行したとは考えられません。彼がフィリピンに在任していた時は、そのような行動は物理的に無理であったと考えられます。しかし、フィリピンでは“山下財宝”の話は広く一般に信じられ、その話は“マルコスゴールド”の話に繋がります。マルコスが“山下財宝”を回収しその一部が“マルコスゴールド”になったと言う話です。

 私達の計画はその言い伝えを検証し、実際に財宝を手に入れる計画です。
 
 私達の検証により財宝の存在は明らかになります。世界中、フィリピンで行われているトレジャーハンターがその根拠としている“情報”と私達が皆様にお伝えする“情報”を比べて下さい。そして、この計画が意味あるものかどうか、貴方自身で判断を下してください。

 充分な情報はお知らせしますが、個人の名前、地名、日時の特定が出来ないようにしました。

           戦後、最大の浪漫です。

背景

 フィリピンではフィリピン人を初め、日本人、アメリカ人、オーストラリア人等世界各国から来た人々によって財宝探しが行われています。それぞれが自分達の信じる情報を持ち、フィリピン中で穴を掘っています。その数は数千人と思われます。しかし、その情報の殆どはフィリッピン人からの物で信憑性に掛ける物です。その情報を信じ、振り回されて全財産を無くした人々、無くしつつある人々は多数おります。

 財宝探しの最も大切な点は、如何に確実な情報を手に出来るかと言うことだと考えます。財宝を隠した方から直接手に出来た情報が最良の情報と思います。隠したのが事実であるとすれば、隠した人は存在します。組織的に隠したものであればその組織は存在します。戦後半世紀以上経った現在、組織は回収作業を行った筈であり、隠した目的は回収にしかなかったと考えられます。

情報

 私は偶然に隠した組織の一人から情報を得ることが出来ました。この情報を元に財宝回収作業の提案をします。しかし、戦後半世紀以上経っています。リスクはゼロと言えません。また、回収実行時の予測できない事態によってのリスクも考えなくてはなりません。皆さんに納得の出来る情報を提示し、考えられるリスクを分散した財宝回収作業の提案をしたいと考えます。

 私がこの事実に最初に接したのは1993年にJ.R.氏からです。J.R.氏は当時62歳でした。彼は日本人の父親とフィリッピン人の母親を持ち日本国籍を持つ日本人です。彼は流暢な日本語を話し、英語、タカログ語、フィリピンの方言にも精通していました。戦後彼は遺骨集集団の通訳として働きました。彼には二人の兄弟が居ましたが、彼等もその能力を買われ通訳として働いていました。 
J.R.氏が私にあるメモを見せました。そのメモは財宝を埋蔵した場所を克明に記した物でした。

 (メモのオリジナルは現在私が保有しています。) 彼によるとそのメモは彼が協力した日本人グループの一人から貰った物だと言う事です。彼はこの日本人グループの財宝回収作業に協力をしていたのです。この日本人グループはマルコス大統領と共に財宝回収作業を行ったとの事です。このJ.R.氏は協力中、毎日ヘリコプターでの送り向かいがあったそうです。マルコスの政治的状況が悪くなり、このグループも日本に帰ることになりました。その動きが急であり、日本人グループはJ.R.氏に彼への取り分を渡せず、将来的に一緒にその場所の回収作業をするとの約束をして彼に渡したメモでした。

 日本に戻ったこのグループはフィリピンの政治状況を判断し、マルコス以後回収作業を再開する事は出来ずにいました。また、このグループの方々もご高齢になり、その内の2名を残し他界なさいました。その様な状況の中で彼は私にそのメモを見せ、J.R.氏はフィリピン人達と回収する為にその作業を開始しました。
 
 私はそのメモがあまりにもボロボロで損失することを恐れ、スキャナーでコンピューターに取り込みました。不鮮明な部分がありました。その部分を拡大し、色相、明度、輝度等を変えているとその部分には住所、氏名、電話番号が有りました。1995年の事です。

 私はその日本の電話番号をダイアルしそこにある日本人名のご老人と話をする事が出来ました。この最初のコンタクトから彼が亡くなる1999年の7月まで彼と接触を続けました。

 1997年にはJ.R.氏は回収現場で亡くなりました。その年の3月に、彼は私に回収が終わるまで山を降りないと言って出かけました。彼の重要書類は私に残しました。一ヶ月も経たずに彼は現場で、心臓麻痺で亡くなりました。

 私は彼に連れられて現場に2回赴いています。第二次世界大戦時は日本軍が作った道路がその現場まで行っていました。戦後は、高圧送電線を作るのにその道路は使われただけで、車で行く事は不可能です。険しい山道を登り麓から現場まで2時間余り掛かります。

 私がそのご老人と話した内容は次の通りです。最初の頃は、まともに話もしてくれず電話を切られました。接触が半年位経った時に彼の方から私の素性等を聞く様になりました。それから直ぐにJ.R.氏との関係を認めるようになりました。彼が私にそのメモが彼の物である事と、事実を語り始めたのはJ.R.氏の最後を彼に伝えてからです。最初の接触から2年余りが経過していました。その時には既にこの事実を知っているのは彼ともう一人の老人だけになっていました。

 そこに入れられている物は当初、シンガポールトンネルに隠す予定であった事。シンガポールから運ばれた物は、ミンドロオ、マニラ、サンフェルナンドラオニオンの三ヶ所に降ろされたこと。マニラ港に上げられた物は最初にインタラモロスに置かれ、最終地まで運ばれた事。彼がその最終地の責任者であり、彼が就任していた時には金800トン余りが運び込まれた事。その山の麓付近に精錬所があった事。隠された場所は鍾乳洞で、その場所の詳細を語ってくれました。

 彼らは大量の金をフィリピンに隠した張本人であり、それを戦後回収した本人達でもあります。このグループはこの大量の金を殆ど回収し日本に持ち帰っています。彼等はマルコス前大統領を使い回収しました。マルコス大統領と彼らのグループの仲介はサンタロマナがしています。彼等はマルコスに一つずつ場所を教え回収しました。彼らが教えた場所ではその日の内、もしくは数日で回収場所に到着し回収が始まりました。彼らの回収作業は、謎解きではなく財宝探しでもありませんでした。マルコスは彼らとは別にトレジャーハンティングを始めましたが、全て不成功に終わっています。マルコスの取り分がマルコスゴールドになったのは言うまでもありません。彼らが行った回収作業は簡単なものから始めました。マルコスの政治的状況が悪くなり、回収作業を中止した時は最も難しい場所しか残っていませんでした。私達の場所も最も難しい場所です。しかし、彼によると、この場所は2番目に大きなストックがある場所だそうです。一番大きなストックもまだ残っているそうです。その場所はトクカンと聞きましたが、詳細は聞いておりません。

 1999年に入るとご老人は私にもう一度フィリピンに行きたいと言う様になりました。その準備も間に合わず、その7月に亡くなられました。

 私はこの場所の回収計画をするのに充分な情報を持っていると信じます。また、J.R.氏とこのご老人が揃って私を騙そうと計画したとは思えません。彼等からのこの“情報”以上の情報は無いと信じます。


        私は、フィリピンで旧日本軍の財宝に一番近い位置に居ます

フィリピンに埋蔵された財宝

 この老人によると、彼らが回収したのは8千トン、日本人グループが手にしたのは約4千トン、フィリピン(マルコス)に残したのは約4千トンです。マルコスは日本人グループの思惑とは違い、殆どを私物化してしまいました。それらがマルコスゴールドと呼ばれています。マルコスはその内、約2千トンを海外に送り、一部は現金化され秘密口座に入れられ、一部はブリオンバンクにブリオンとされ、金口座に保管されています。その他の2千トンがまだフィリピン国内に残され、隠されているとされているそうです。

 未だ回収されずにフィリピンに隠されている日本軍の財宝は4千トンあるそうです。

時の流れ

 大量の“金”をフィリピンに隠したこの老人を含む日本人グループの実態を明らかにすることは、今現在、憚られます。今後、歴史的に明らかにされるでしょう。しかし、第2次大戦中にあって、最高の機関と言えるでしょう。最も頭の良い人達で構成された諜報機関でした。彼らの計画は完璧であり、ほんの少、のミス(隠す時あって、最高の機関と言えるでしょう。最も頭の良い人達で構成された諜報機関でした。彼らの計画は完璧であり、ほんの少しのミス(隠す時にフィリピン人に見られたり、情報が漏れたりと言うミス。)も有りませんでした。彼等の隠匿の目的は、その財宝を戦後回収することであり、戦後、彼等は出来る限り回収しました。回収は1960、1970年代に行われました。マルコス政権の安定期です。彼等抱えるようになると、彼等もフィリピンから撤退を考えました。それが1970年代後半です。彼等も60から70歳代となっていた時です。1980年代、マルコス政権が崩壊する前には彼等は完全に日本に撤退していました。

 彼等はその後も彼等の回収活動の再開を試みようとしていました。しかし、その後フィリピンは政局的には安定した状態とはいえない状態が続きました。そして、彼等の仲間も高齢となり、一人、また一人と他界していきました。私が彼と接触した時には、既に、このグループの中で、彼を含め二人しか生存していませんでした。その彼も亡くなられ、もう一人の方が生存されているかどうかは確認の方法も有りません。私が接触した当時、彼は優雅な隠居生活を送っておられ、80歳半ばの時でした。

 彼等は彼等の任務を充分に果たしたと考えていました。彼等の出来る限りのことを戦後に行ったのです。実質的な終戦処理でした。回収した金塊はあるべきところ(ヨーロッパのブリオンバンクの中。)に戻ったのです。

回収作業

 上記の事実を踏まえ、私達の行う回収作業は細心の注意を払って行うべきです。未だに“金”は国際経済の根幹をなしています。原産地証明の無い“金”は輸出も、輸入も出来ません。売り買いが出来ません。大量の金を売り買い出来るのはロンドンマーケットを中心にした、ブリオンバイヤー=ゴールドカルテルだけです。ブリオンバンク、政府が絡んだ組織です。アクセサリー、工業用に使われる金はブリオンではありません。量は全体から見れば極少量であり、消耗されるものです。世界の政治、経済の影響を受け、売り手、買い手は常に監視下に有り、誰もが自由に出来る取引とは違います。

 基本的にマルコス時代の取引を再現するのです。

 回収後の金塊の処理はしかるべく機関と行わなくてはいけません。フィリピンには大量の金を買い取ることの出来る会社が一つだけあります。マルコス時代に国連の弁護士の協力で出来た会社です。私はこの会社と有機的な繋がりがあり、全面的な協力を得る事が出来ます。この会社がフィリピン政府からのトレジャーハンティングの許可書を取得する作業を代行します。この国での大量の金の運搬許可書、および最高のセキュリティーはこの会社が提供してくれます。このフィリピンで、この会社の協力無しに大量の金を処分する事は出来ません。

フィリピンの事情

 フィリピンでは“山下財宝”“マルコスゴールド”の事が噂され、新聞等でもよく報道されます。先に述べましたように、多くのトレジャーハンターがフィリピン全国で活動しています。彼等が“日本軍の財宝”を掘り出した事実は有りません。それらの噂は全て根拠の無いものです。 
陸軍、海軍が保有していた軍資金(食料、資材を調達する資金。当時、日本の軍票は信用が無く、物々交換に金塊が使われた。)を不正に取得し、隠した善からぬ日本人兵が、戦後遺骨集集団としてフィリピンを訪れ、それらを持ち帰るのをフィリピン人に目撃された事はあるでしょう。しかし、これらは“日本軍の財宝”“山下財宝”とは質が異なります。

 フィリピンでは日本軍が残した財宝を探すための日本軍のマーク、サインが信じられています。これも何等根拠がありません。ご老人に寄ると、サイン、マークを残す事は彼ら以外の人達に、財宝の存在を教える事であり、当時はそんな事は微塵にも考えなかったと言う事です。戦後に、トレジャーハンター達に謎解きゲームの楽しみを与えようとも、勿論思っていなかったそうです。
財宝の隠し場所の秘密は彼等だけの物でした。また、彼等の隠し場所の確定の仕方は、木、岩、石、マーク、サイン等を使った物では無く、彼らの目印は百年経っても、二百年経ってもそこにある物です。彼等の方法は科学的であり、合理的な方法でした。

 日本軍は司令部のある所に必ず、戦略的なトンネルを掘りました。これが日本軍の戦い方でした。ですから、フィリピン全土に日本軍のトンネルが有ります。アメリカ軍が日本軍の基地を占拠すると最初に捜索するのがこれらのトンネルと、司令部、軍関係の施設、将校が住んでいた所です。軍資金であれ、そんな所には貴重なものは隠しませんでした。トレジャーハンターの多くはこのような所を探しています。そこからは、日本軍の遺品が多数発見できる筈です。しかし、財宝はそこには有りません。

 日本人が自分の土地を買いに来た。親父が、祖父が日本軍の金塊を埋める所を目撃した。日本の老人が教えてくれた。日本軍の財宝の隠し場所の目印がある。地中からセメントがでた。<<<<<<<<これらの情報はフィリピン人が日本人からお金を作る方法であり、何の根拠もありません。日本人がフィリピンで穴を掘り始めれば、多数のフィリピン人が潤うのです。この様な形で日本人、外国人等がフィリピンに落とす外貨の総額は馬鹿にならず、フィリピンの隠れた産業と言えるでしょう。

 老人に寄ると、隠し場所としてフィリピン全土の鍾乳洞を調査したそうです。鍾乳洞の中は下が岩盤で、金塊を置く時に養生する必要が無かったからです。金は非常に重い物体です。土の上に置いただけでは限りなく沈んでいきます。比重の問題です。土の上に直接置く場合はコンクリート等で、養生する必要が有りました。しかし、コンクリートを使った場合、埋める金塊の10倍のセメントが必要です。10トンの金塊を隠すのに100トンのセメントが必要でした。戦争中にこれだけのセメントを使った工事は、とにかく目立ったでしょう。
 大量の金の隠し場所は全部が鍾乳洞の中です。掘らなければいけない場所には隠されていません。また、掘ると水が出てくる場所にも隠されていません。50年位では地形も地質もそんなに変わりません。埋めた時の事を考えてください。埋めようとして水が出てきたら、その水のトラブルを克服して何かを隠そうとしますか?これは常識です。それも戦争中の事です。

 フィリピンで手に入れられる多くの情報は全てが嘘であり、創作されたものです。信じるに値しないでしょう。情報を科学的に分析するべきでしょう。財宝探しの謎解きをしている限り、日本軍の財宝は手に出来ません。
 フィリピンにある日本軍の財宝探しは日本ですべきです。隠した方を日本で探し、その方から情報を貰うべきです。戦後、半世紀を過ぎ、全てが消えつつあります。生ある物は全てに寿命があります。戦後が消えつつあります。

 私の持つこの情報はフィリピンで得られるどの情報よりも真実味が有ると思います。と、言うよりも情報の質が違います。この情報以外で日本軍の財宝は手に出来ないでしょう。

回収計画

 フィリピンで財宝が発見された場合は非常に危険です。発見されたと知れると、その地域全体が無政府状態になると予測できます。政府、軍に協力を求めても、政治的判断を間違えると彼等の裏切りは当然の事となります。最も安全で、且つ強力なセキュリティーは国際的な外圧の下、フィリピン政府に協力させる方法でしょう。

 このオペレーションの主体は国際的に認められている“金”の買い取り機構との共同作業で進めます。正式にフィリピン政府からトレジャーハンティングの許可を取ります。考えられる最強のセキュリティーのもとオペレーションを行います。期間は9ヶ月を考えています。準備期間2ヶ月、その後は一気に仕上げます。

 充分な資金を確保後にオペレーションに着手します。途中で資金が枯渇すると関係各位に情報だけを与えてしまう事になります。隠し場所を教えて撤退する事になってしまいます。

予算

 具体的な数字はお会いしてからにしてください。

分配

 全回収量からフィリピン政府関係者の分を引き、その量の3分の1を情報グループ、3分の1をオペレーショングループ、後の3分の1を出資者グループに分配します。

 この様なプロジェクトは普通のビジネスと違います。理解ある方々との共同事業を望みます。