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帝国陸軍の軍資金

フィリピンには二つの種類の財宝がある事を確認して下さい。”機関”によって計画的に隠匿された大量の金塊(前回に説明済み)と日本陸軍、海軍の軍資金です。

陸軍の軍資金も、戦後フィリピンに残されました。俗に山下財宝と呼ばれるのは山下大将があまりにも有名だったからです。山下大将が戦時中にそれだけの大量の金塊を自由に出来たら戦況も少しは違っていたでしょう。山下奉文大将の名誉の為申し上げておきます。山下大将はフィリピンに”機関”によって隠匿された大量の財宝に関して絶対に関与しておりません。陸軍とは関係の無い”機関”によって大量の金塊はフィリピンに隠匿されました。山下大将が東南アジアで金品を収奪した事実は知っている可能性は大きいですが、その後、彼は満州へと赴任されています。 山下大将はフィリピンに来て、降伏するまで6ヶ月しかありませんでした。その6ヶ月を女房役として大将をお世話したI少佐より詳しく話を聞いております。その証言を元に日本陸軍の軍資金について説明します。

私はフィリピンから日本に出向き、I少佐には2回時間を割いて頂きました。2回とも昼食を挟み長い時間お話を伺いました。 日本帝国陸軍がマニラから撤退する時に相当の金品を持っていたのは確かです。フィリピン中央銀行から奪取した金貨銀貨を中心に金塊もあったそうです。しかし、I少佐によると当時は「そんな物より、食料の方が貴重だった」そうです。例えば、食料を運んでいるトラックが壊れると、金塊を乗せているトラックと荷を入れ替え、金塊を積んだ故障したトラックを崖の下に置き、崖の上を爆破して埋めたり、湖に沈めたり、谷に落とし込んだりしたそうです。「敵には渡さない」のが一番の目的として捨てたそうです。

陸軍とマニラに居た在留邦人がマニラからバギオ、そしてキアガンへと逃げる過程は飢餓とマラリア、赤痢との戦いでした。兵隊は体力はなくなり財宝どころでは無かったそうです。後で、回収しようと計画的に隠す為に兵隊を労役に使う事など無理だったそうです。銀貨の入った袋は土嚢代わりに積み上げ弾避けに使ったそうです。フィリピンでの戦闘がどの様な有様だったか、・・・・・著の『ルソン戦記』を読まれる事をお勧めします。財宝などと言っている自分が恥ずかしくなります。涙無くして読めませんでした。

しかし、I少佐から興味ある話を聞く事が出来ました。陸軍には金担当、銀担当の士官が居たそうです。金担当の士官はI少佐の同僚でM少佐でした。M少佐は戦後、遺骨収集団として何回もフィリピンに来ています。 山下大将は日本の傀儡政権として陸軍が連れて来たロハス大統領に降伏する前に陸軍が持って来た”銀”を全て渡したそうです。ロハスはこの”銀”をもってマッカーサーと交渉をします。マッカーサーは独立後の大統領としてフィリピンの英雄の子孫を連れて来ていましたが、翻意し、ロハスを戦後最初の大統領としました。マッカーサーは第二次大戦で一番儲けた人です。

問題は敵に取られないように捨てた場所と、M少佐の動向です。どこまで真実を教えていただけたか分かりませんが、かなり踏み込んで詳しく教えていただきました。1984年にI少佐はフィリピンに来ています。バギオ近くに大量の銀貨を捨てたそうですが、そこには1枚も残っていなかったそうです。途中の沼みたいな湖に金塊を沈めたそうですが、戦後、そこにはダムが出来てしまい湖の場所も大きさも変わってしまっていたそうです。バギオからソラノ、キヤガンに至る陸軍の逃走経路には、今だ陸軍の軍資金が残されているはずだそうです。

M少佐は金を担当した士官です。あの有名な「丸福金貨」も彼の担当でした。「丸福金貨」は立派な陸軍の軍資金です。I少佐とM少佐は1984年に「丸福金貨」の回収を目的にフィリピンに来ていました。丸福金貨は山下大将の発案で日本で作られた物です。福、禄、寿、喜と4種類あります。2万枚がフィリピンに送られました。50枚ずつ紫の袱紗で包み桐の箱に入れられています。

山下大将は5千枚を降伏前に将校達に配っています。モンテンルパ捕虜収容所でタバコ、食料と米兵と交換したり、戦後一部が日本に持ち帰られています。I少佐も日本に持ち帰り現金化したそうです。残りの1万5千枚は陸軍がバギオ撤退時に計画的に隠されています。その計画の責任者はM少佐です。隠匿場所は4台のトラックを運転した兵隊とそれぞれのトラックに1人づつ乗った兵隊とM少佐、それに全てを教えられたI少佐しか知りません。

1984年の状況、そして、丸福金貨が隠匿された場所をI少佐から詳しく聞いております。I少佐にとっても丸福金貨の回収は責務だったのかも知りません。I少佐が亡くなった今もI少佐と私達の丸福金貨回収のプロジェクトは続いています。彼が残した地図入りの詳細な手紙も残っています。

M少佐は50年代から80年代まで頻繁にフィリピンに見えています。遺骨集集団として、と言うよりも一部の人の間ではトレジャーハンターとして有名でした。戦後、大きな水産会社の会長オーナーとなっています。

マルコスが回収したのは日本の”機関”によって隠された大量の金塊です。この金塊と陸軍、海軍の軍資金と混同しないで下さい。

山下財宝と呼べるのは日本帝国陸軍の軍資金です。I少佐も強いて山下財宝と言えるのは丸福金貨であると言っています。