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概要(何故、大量の金塊がフィリピンに埋蔵されたのか?)

個別の証明は後にして、フィリピンに大量の財宝が隠匿された事情を説明したいと思います。戦前からの歴史の流れを大きく掴んでください。それに寄って個々の事実が浮き上がって来ます。個々の事実は色々な所で目にすることが出来ます。それらが相互に関連がある事を説明したいと思います。

大東亜共栄圏

フィリピンの財宝を語る時、戦前から言及しなければなりません。歴史の流れは偶然の羅列かも知れませんが、明らかに或る意志に寄って導かれていると思わざる得ない事が少なからずあります。初めて耳にする事が多いと思います。最初は信じられない事ばかりだと思いますが、全体を通すとそこに真実の香りが漂ってくると思います。

日本は大東亜共栄圏構想の下、アジア諸国のロイヤルファミリーを中心に基金をアジアに設立します。資金として、日本から金塊が送られました。皇室が保有していた金塊だと言われています。この基金設立に中心となった人物がいます。この人物抜きにフィリピンに埋蔵された財宝の秘密を語る事は出来ません。その人物はスペイン系フィリピン人のサンタロマナです。サンタロマナがアメリカCIAと繋がっていた証拠は山と有ります。サンタロマナがCIA(当時はCIAの前身である組織)であれば、アメリカは日本を参戦へと焚きつけていたことになります。経済状態が破産していたアメリカが戦争を欲していたのは事実でしょう。この、サンタロマナと言う名前を覚えておいて下さい。彼が戦前、戦後を通してのフィリピンに隠された財宝のキーパーソンです。

第二次大戦はヨーロッパで始まった。

第二次大戦はヨーロッパで始まっています。ヨーロッパ諸国はドイツがヨーロッパ全域に侵略を開始すると察知した時、彼等は彼等の財産をヨーロッパからアジアに在る自分達の植民地に移しました。アジアでの政治状況には彼等は疎かったのです。彼等の財産である金塊がアジアに移動したのです。一説にはヨーロッパの90%の金がアジアに移ったとされています。中立国であるスイスに置いとくことにも脅威を感じていたのでしょう。

日本の参戦と南下

日本が参戦すると日本の南下は非常に早く行われました。充分に基金が役割を果たしたのです。カンボジア、タイ、インドネシア、ビルマ、ベトナムと瞬く間に日本は侵攻しました。それらの国は全てヨーロッパ諸国の植民地でした。そして、それらの国にあった銀行(占領国の銀行)の中には大量の金塊が日本軍を待っていました。日本は労せずしてヨーロッパ諸国の90%金を手にしてしまったのです。ここから、日本の”機関”が誕生し、その”機関”による”金の百合作戦”が始まります。この”機関”は日本軍とは別の組織です。金塊の輸送に陸軍、海軍を使う事の出来た非常に強い組織でした。”金の百合作戦”はアジア人の財産を強奪する為の作戦ではありませんでした。手にした大量の金塊を如何に処理するかと言う作戦でした。

アジア諸国に存在した日本の精錬所

大量の金塊は”機関”の作った精錬所で鋳直されました。元あったヨーロッパの刻印、マークを消し去ったのです。ここで、フィリピンに出現する偽物の金の事を考えて下さい。表面のマークにはスマトラ、ビルマ、カンボジア等々があります。これは、日本の精錬所が在った場所です。彼等は最初に”基金”に送られた金と同じ形に鋳直し、同等、もしくはそれ以上の量を日本に送り返しました。この金塊には松竹梅の刻印があると言われます。金の等級によっての松竹梅か、松竹梅を一つにデザインした物か分かりません。私にこの情報をくれた方(誰だか絶対に言えません)も本物を見ていません。ただ、この刻印が皇室の保有する物である事を示しているそうです。(ここまで書いていいのかな・・・・・・・)それらの金塊を日本に送り返してもまだ、大量の金塊が残りました。その金塊には精錬所のあった地域の名前が刻まれました。スマトラ、カンボジア、ビルマ・・・・これらのマークの秘密は此処にあります。(この精錬所を経営した日本の民間の会社は現在も日本に存在しています。何か内部情報が有れば御連絡下さい。)それらの鋳直された金塊は最初、シンガポールトンネルに集められました。戦後発見されたシンガポールトンネルは有名です。しかし、中には何も有りませんでした。その後この大量の金塊はフィリピンに移されました。

フィリピンでの埋蔵計画

”機関”はシンガポールからの輸送に徴用偽装船を使い、マニラ、サンフェルナンドラオニオン、ミンドロオから荷揚げしました。
オランダ船を病院船にした安房丸が台湾沖でアメリカの潜水艦によって撃沈されています。この安房丸はマニラ、サンフェルナンドラオニオンで金塊を下ろした後に撃沈されました・

”機関”は隠匿場所にナチュラルケーブ・鍾乳洞を徹底調査しました。鍾乳洞であれば隠すのに手間が掛からないからです。岩盤の上に金塊を置けば良いからです。それに、フィリピンはそこらじゅうに鍾乳洞が存在します。決して、泥を掘って埋めようとは考えていませんでした。金は比重の一番重い金属です。泥の上に置けば岩盤まで沈んでしまいます。沈まないようにコンクリートで養生しようと思えば、大量のコンクリート、資材が必要となり、大建設工事をしなければなりません、この様な大工事は目だって仕様ありません。戦争中にこの様な大工事を山の中で行えば秘密は保持されなかったでしょう。この計画を立てた方は金の性格を知り抜いた方です。トレジャーハンターの方はこの点を考慮なさったらよろしいかと思います。つまり、土を掘っていたら、そこには大量の金塊は無いと言う事です。

これらの計画の実行は1944年中に終わっています。戦況が日本にとって厳しくなる前に大体が終わっています。

戦後、フィリピンでサンタロマナが最初に財宝の回収を行った

戦時中に”機関”とサンタロマナが通じていたかどうかは確かめる術はありません。しかし、サンタロマナは財宝の隠し場所は知らなかったと思います。知っていたら彼は全てを自分一人で回収してしまったでしょう。サンタロマナはCIAと気脈を通じた諜報員である事を”機関”は承知していたと私は考えます。

戦後、サンフランシスコ条約で日本国は全ての財産を放棄しています。フィリピンに隠匿された財宝に関して何も触れられていません。では、アメリカ及び、連合軍は財宝に関して知らなかったかと言うと、そんな事はありません。何しろ90%のヨーロッパの金です。知らないはずがありません。実はマッカーサーと日本の@@大将の間で現実的、熾烈な交渉が行われていました。@@大将は日本の諜報機関を統括していた人です。勿論、”機関”の事も知っていました。世界の戦争の歴史で敗戦国の諜報部員は殆どが戦犯となり死刑に処せられて来ました。同じく第二次大戦国の敗戦国ドイツの諜報部員は殆どが死刑となりました。@@大将は出す物は出し、隠す物は隠して日本の諜報部員全員(2千名)の命を救いました。それだけではありません、天皇制の維持もこの交渉にありました。マッカーサーが潔癖でなくて良かったと思います。世界の戦争史上異例の事です。この2千人は直ぐに警察予備隊に編入され、CIAの監視下に置かれました。この2千名の生存者は今でもCIAによってモニタリングされています。この証言は実際、諜報部員とされ、つい最近までモニタリングされていた方から得た証言です。この方に接触していたCIAの名前も貰っています。戦後史では名前が有る人で、確認をしています。この事実は今だ大量の財宝が回収されていない事を物語っています。第二次大戦で金持ちになったのはマッカーサーです。このマッカーサーは軍人と言うよりも戦争商人と言った方が良い方でした。戦後直ぐに江戸川河口で引き上げられた船から大量の金塊が見つかったニュースをご存知ですか?このニュースとこの時の金塊は何処に行ったんでしょうか?

フィリピンではサンタロマナ?が財宝を回収し・・・・サンタロマナが直接回収したかどうかは分かりません。がこの時回収された財宝の口座は最初サンタロマナ名義で、以後、CIA長官名義に変更されています。(私のニュースソースは違いますが、英語版、Gold Warriors、Sterling & Peggy Seagraver著にもこの事実は明記されています。)

また、世界的に行われたおかしな事実があります。それは金の取引に関しての新しい取り決めです。1945年に試案が出され1949年に施行されています。それ以後、金はブリオンバンク同士以外取り引きが出来なくなりました。ブリオンバンクの金庫の外に在る金は石ころと同じです。宝石としての金はあくまでも消耗される金でブリオンとしての価値はありません。ブリオンとしての価値を持つ金は高い利子で運用が出来、政府と銀行が一緒になれば金の市場価値の30倍の価値になると言われています。つまり、アジアで大量の金塊が見つかってもそれは”金”では無いと言う事です。アジアにはブリオンバンクはありません。これほど経済が発展した日本にもブリオンバンクはありません。もし、日本にブリオンバンクがあり、そこに、大量の金をぶち込めば、第二次大戦の結果がひっくり返ってしまうからです。もう一つ、一度ブリオンバンクに入った金塊は二度とリフトアップできません。そこから出せません。以後、取引は名義変更だけで行います。戦後、ヨーロッパ諸国は自分達の銀行の金庫は空っぽなのに、失った金塊を銀行の中にある事にして戦後が始まったのです。

戦後、フィリピンでの財宝の回収

マルコス前大統領婦人のイメルダはサンタロマナの養女です。マルコスを有り余る資金で大統領にしたのはサンタロマナです。マルコスが大統領になると本格的に財宝の回収が始まります。”機関”のメンバーがマラカニアン(大統領府)に住み込み行われました。(私の主たる情報はこのメンバーのうちの一人からです。)勿論サンタロマナもマラカニアンに住み込んでいました。回収された金塊はニュージャージー経由(大量の金塊を精錬できる施設が在る為)でスイスのUBS、アメリカのCITIBANKにと送られました。サンタロマナの指示でしょう。UBS、CITIBANKがCIAの銀行と言われる所以です。

回収は日本人が出す情報に沿って行われました。日本人グループは一箇所づつ情報を与え回収して行きました。マルコスが作った特別部隊によってです。

レッドパージと冷戦、日本の経済発展

フィリピンで回収された財宝は戦後アメリカにより対共産主義の為に使われました。日本でもその為に基幹産業に資金として投入されました。それだけではないでしょう。多くの関係者が私腹を肥やしたのは確かです。アメリカ人、日本人、フィリピン人です。マルコスも自分の分け前を貰っています。フィリピン国民には還元せず、独り占めにしました。それがマルコスゴールドです。
日本ではM資金と呼ばれました。M資金として投入されたのは事実です。日本の今日の経済の基礎はここに在ります。M資金の話はこの事実を元に、後に詐欺話へと発展します。

”機関”の日本への撤退

回収は簡単な所から行われました。しかし、全てを回収する前にフィリピンの政治状況が不穏になりました。マルコス政権は持続が不可能となって来た事を知った日本人グループは日本への撤退を余儀なくされました。勿論、彼等は回収を再会する予定でした。キーパーソンであるサンタロマナは他界してしまいました。1990年代に入るとこのメンバー達も老齢となり、次々と亡くなって行きました。私がこのメンバーの一人と接触した時にはメンバーの生存者は二人になっていました。このメンバー達が主体での回収は最早不可能です。

今だ、フィリピンに眠る4千トンの金塊

このメンバーの一人の証言として最も大量に在る場所が残っていると言う事です。フィリピンには数箇所未回収のところがあります。その総トン数は約4千トンだそうです。

”機関”のメンバーは一枚岩ではありませんでした。気を利かせすぎたか欲に走ったメンバーが財宝の在り処を示す地図を作ってしまいました。将来、自分達で独占出来ると思ったのでしょう。そして、不注意に寄って(事情を知らない兄によって)フィリピンに何枚かのコピーが撒かれてしまいました。この地図を読むのはそう簡単ではありませんが、この地図を読めれば一発であなたを財宝の回収トンネルの入り口に誘います。